社長の・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ひとりごと




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> 2022年 12月 31日  2022年の総括
普段、テレビは全く見ない。ただ、年末年始、郷里で過ごすときに見る。今年もローカルテレビ局が1年の総括のような番組をやっていた。この苦しい経済の中で、農林水産業の人たちが若手も参加して知恵を出し合っている様子がよく分かる。もちろんテレビだから「綺麗な場面」が選別されているのだろうが、事実である。テレビ局も、落ち込みがちな県民を盛り上げようと、工夫を凝らす。
で、。。。結局、実質的に何もしていない(生み出していない)人たち、職業というのは。。。政治家、議員。相変わらず自分と党の保身のために忙しい。銭勘定しか頭にないようだ。多忙なのか、議会では居眠り。ゾンビのような顔をして首相がテレビに出て、何をするかと思ったら、官僚の書いた(?)原稿を読むだけ。物価高騰も増税も自分たちには影響無いので容認。これが一国のリーダーなのかと目を疑う。外国の友人には恥ずかしくて言えない。自分の子供たちがこの類いの職業を選ばなかったことが何より嬉しい。
仮に明治のような熱血漢がこの世界に飛び込んでも、周囲は既得権を手放したくない権力者ばかりだから,即刻排除。それは世界の暴君の国々(rogue nations)を見れば分かる。ただ、元を正せば、党や首相を選挙で選んでいる国民の知的レベルの問題。。。
 
> 2022年 9月 23日  テレワークは誰のため?
人の能力は多種多様。高い技術の人もいれば、できない人も。そういう人たちの集まりが「会社(組織)」。つまり、会社の基本はチームワーク。先輩や同僚のやること(成功や失敗、ちょっとした日常の動作)を横目で見て気付き、学び、互いに助け合いながら利益を達成する。そうでなければ、一つの旗印の下に集まる意味は無い。

しかし、通信技術が進化した今、テレワークは、最大効率で最高益を追求するアメリカ資本主義ならではの究極の姿で、旧来とは全く異なる利益追求の構造。つまり、テレワーク選択は「会社」という形態を捨てる(一旦、壊す)ということ。会社に貢献できる者だけが生き残れば良いから、個人プレイ、つまりテレワークでいい。できない者は育たないまま葬り去られる「切り上げ、切り捨て型」。会社(経営者)から見たら非常に効率的。

一方、旧来の会社(出勤型)では、突出した人材は出にくい代わりに、チームワークの中で社員の平均レベルを上げる「団結型」。もし、旧型企業にも拘わらずテレワークを自ら選ぶ人は、チームワーク(他人から学ぶこと)を捨て、自ら学び自分を育てる自信がある人、または逆に向上(成長)をあきらめて心理的に楽な方を選んだ人(欧米なら退職を迫られる)。なので、中途半端にテレワークを取り込むと、当然、社員の知能/技能レベルの格差は広がる。

どちらが良い/悪いということではない。会社の方針として、チームワーク型か個人プレイ型か、という決断。だが、中小企業でテレワークを実施しても、いきなり傑出した人材が現れるはずも無い(そういう人はすぐに辞める)から、やはりチームワーク型、つまり旧来通り会社に一同が会する方式が良いだろう。それに、テレワーク前提の大企業のような多額のインフラ投資(テレビ会議、労務・業務管理システムなど)はできないのに形だけ実施しても、社員がダメになるだけで成果は見えない。しかも、旧来型の会社の問題が、根源は別の所にあるにもかかわらず、テレワークで解決すると思っている人もいて、この中途半端はたちが悪い。
 
> 2022年 1月 1日  年賀状って何?
年賀状の歴史は「平安時代の貴族間の年始の挨拶に端を発する」と、比較的有名。「平安貴族が始めた習慣」と聞くと和歌の交換などのように「雅(みやび)」を思い浮かべるだろうが。。。
文章博士の藤原明衡(ふじわらのめいごう、あきひら)が公卿らに頼まれて手紙の文章を書き、それを生かして文例にまとめた往来物(おうらいもの;手紙文例集)「雲州消息」を書き記したのは11世紀頃だから、ほとんど貴族没落の時代。この頃は、非生産階級の官人、中でも下級貴族やそれ以下の一般官人たちは没落の危機感に怯えていたはず。特に6位以下の下級貴族は生活の存続を掛けて、天皇や上級貴族に媚びる必要があった。彼らに嫌われたら間違いなく路頭に迷う。で、この「往来物」は下級貴族が生き延びるための必需品となった。

葉書や手紙が本当に必要なのは、遠方の知人たちの消息を知るときや、戦後、消息不明の者たちの安否を気遣ったとき。つまり別に「年賀」でなくても良いわけ。ただ、いきなり問い合わせるより自然だから、当時、年賀状は「送る切っ掛け(理由)」を作ってくれたということ。まあ、その程度の意味でしかないから、現代の個人スマホの時代に消滅するのは必然。
「1年の感謝の気持ちを」とか、「近況を伝える」とか言うけれど、それには葉書では面積的に無理だし、手作りの絵葉書など作っていたら大変な時間が掛かる。その「本来の主旨」を実行する人がどれくらいいるだろうか。毎年、1、2枚、そういう方から頂いて、感激。

つまり、現在の「年賀状」は平安時代と同じ、無精な人が「面倒だけれど世間体が」とか「上司には挨拶しておかないと」といった理由で、とりあえず媚びを売りたいときの、非常に安上がりな手段。それを知人の女性に話したら、「今頃、分かったの?」と、素っ気ない。知らなかった(真面目に考えていた)自分が。。。
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